今日の母、明日は90歳の誕生日。

今日は午後3時過ぎ母を訪ねる。

「ああ、XXXか?」と私を認識。しかしその後、自分の生年月日を尋ねても、すんなり言えない。あれこれヒントを出して、誘導。やっと、「大正16年10月の17日か18日か?わからん。」(大正6年10月18日が正しい。) 

年齢はいくつかと問うと「69かな?」もっと上だというと、「76か?」いや、今、89歳で明日は90歳になるというと、「へえ、そんなもんか?」と。

母を見ていると、コトバとは、たいしたものだと思う。一旦覚えた母国語とは自分の肉体の一部となったかのよう。コトバは、死ぬまで使えるのだ。意識が薄れ、うわごとのようになってもコトバは出る。頭の働きが老いとともに低下しても、低下したなりに、コトバで意思の疎通ができる。<ああ>とか<えっ?>とか、動物の鳴き声のような、反射的に発する叫びに似たコトバでも、日本語と英語などの外国語では、異なる。コトバは第2の本能のようなものだ。

我々が外国語を学んでも、意識的な努力が必要な上、話すときもぎこちない。
脳血管障害などでの脳の損傷がないかぎり、言葉(母国語)は、思考のながれと一体となって、口から出て、耳から入ってくるのだと今更ながら、思う。



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こちらをどうぞご覧ください< http://www7a.biglobe.ne.jp/~liaisonjapan/ >

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